FC2 トラックバックテーマ:「一番長く使っている物は何年物?」全ては、純粋さの問題に関連しています。 純度です。
誰かが、物事は純粋であってほしい、と言う時、それは実は、未来より過去が
いい、という事を意味しています。 純粋さとは過去なのです。
未来は変化するので、純粋ではありません。
変化すれば、純粋ではあり得ないのです。
極右派と極左派は、ともに、純粋さを求めている点でリンクします。
異なる種類の純粋さではありますが、彼らは、どちらも失われた楽園を求めて
いるのです。
彼らは現実世界は妥協の産物で、純粋さの欠片もない悪しき世界だと考えて
います。 さまざまな失われた楽園が手を組んだら、非常に危険です。
なぜなら失われた楽園とは、ユートピアでカリカチュア的で、民主主義社会は
到達しえない世界だからです。
民主主義社会では、妥協する事により、多くの人々が満足できる解決策を
見い出します。
私は、この2つのグループが日和見的に手を組まないか、非常に心配です。
もちろん、長期的な同盟はあり得ませんがね。
例えば、今日ではなく将来的には、宗教的な過激派とエコロジストが同盟を
組むと予測しています。 2つの異なる過激派です。
10年後にあなたと再会できたら、あなたは私のこの話しを思い出すでしょう。
私は、宗教とエコロジストの同盟を、真の脅威と見ています。
2つの過激派が手を組んだら、とんでもなく危険です。
なぜならそれは、新たな種類の全体主義政治を生むからです。
今のところは大丈夫です。
イスラム教徒がエコロジストに歩み寄る姿は、見られません。
イスラム教徒のシンボルは緑色ですけどね。
ローマ教皇がエコロジーの大切さを説く事はありますが、そんな事は宗教が
全く違うアジアでは見られません。
ですが私は、宗教とエコロジストの同盟を恐れています。
エコロジストも宗教家も、過激派は純粋さを求めていて昔は良かったと思って
います。 とても危険な事です。
もちろん、市場原理のユートピアも純粋なものですが、それはあり得ません。
だからこそ政府は市場に対して不純な均衡を取らなければならないのです。
ええ、あなたのご意見は理解できます。 他の例を挙げましょう。
そういう意見があるので、私は、しばしば、利己的でありながら利他的にも
なれる、と言っているのです。
私はこれを、利己的な利他主義、または合理的な利他主義と呼んでいます。
経済理論の提唱者の1人にアダム・スミスがいますが国の富とは何であるか
や資本主義に関して定義しました。
ですが、もう1つの本では、利他主義の理論について書いています。
国富論 (1776年)
市民1人1人の利己心が社会を推進する。
道徳感情論 (1759年)
人間、誰しもが持つという他者への共感が社会の秩序を生む。
同じ事です。 彼の本では、非常にシンプルに説明がなされています。
あなたのパンが売れる場合は、あなたの客は満足しているという事です。
その客が、そのパンが好みでなければ、2度と来店しないからです。
ですから、パン屋の客に対する利他主義は、パン屋のためにもなっている
のです。 商品を売るために利他主義になるのが、自分のためなのです。
その観点から見ると、自分勝手な人が自分の商品は置いといて、ただ金儲け
がしたい場合は長続きしません。 1度は売れても、2度は売れません。
ですから、利他的になるのが、自分のためなのですよ。
世界的に利他的にならなければいけないという考え方は、理解するのがより
難しいと思います。
最も重要な利他の考え方は、将来世代が利するようにする事が、自分の為に
なるという考え方です。
非常に有名な、アメリカのフィルムメーカー兼コメディアンで、コメディ映画を
作っていた、グルーチョ・マルクスという人物がいます。
彼が興味深い、次のような言葉を言いました。
なぜ僕が、将来世代の事を気にかけなきゃいけないんだ?
彼らは、僕のために何もしてくれていないのに。
ちょっと聞くと、正しいように感じますが、そうではありません。
10年後に生まれるはずだった人間が生まれず、存在しなくなるのは悪夢なの
です。 私たちの人生の終末は、悲惨なものになります。
なぜなら、その頃には働き手がおらず、年老いた私たちに手を貸してくれる
人もいなくなる。 悪夢です。
これを直感的に理解するのは難しいでしょうが、まだ生まれていない世代の
幸せには、私たち自身が非常に深い利害関係があるのです。
将来世代の人数が少ないのが、日本にとっては問題です。
ですが、まだ生まれていない世代の幸せが、私たちのためになるのです。
この点を理解する必要があります。
だからこそ、社会的流動性を高めなければなりません。
なぜなら、社会的流動性が高ければ、まだ生まれていない世代が幸せに
なれるからです。 気候・民主主義・女性の自由等も重要です。