FC2 トラックバックテーマ:「生活の知恵を教えてください」その後も紛争はありましたが小規模で、1990年代には世界はある意味で、
戦争を 使い果たし ました。 この20世紀において、憎悪は際立った特徴です。
歴史学者は、憎悪と、その根源について考えが足りない。
あまり考えていないために、人々はこの言葉を安易に使ってしまうのです。
ただ、誰かが悪口を言う事を意味するヘイト・スピーチなどのフレーズとして、
私が理解している憎悪というのは、他の人間が実は自分とは別種であり、
同情せず死んでもらってもいい、と確信する事だ。
憎悪というのは、無慈悲に人間を殺す事もいとわない事です。
これがドイツの戦争の特徴でしたが、日本や中国などの戦争でも同じ事が
ありました。
なぜ、そうなったかというと、1940年代初期に反対側で戦っていた連合国にも
憎悪が染み付いたからです。
だから第2次世界大戦末期には、アメリカやイギリスの軍人でさえ、ドイツや
日本に対して憎悪の言葉を吐きました。
憎悪というのは、とても有害な人間の激情です。
それを恐れるべきであり、憎悪が世の中に戻って来ないようにすべきです。
21世紀が憎悪の世紀にならぬように、安易に殺し合えないよう共通の人間性
が勝ち残る事を祈ります。 それが合理的な期待です。
スコットランドの偉大な経済学者であり、哲学者のアダム・スミスは、共感が
市民社会のカギだ、と言いました。
実際に自分が体験できなくても、他人の経験に共感できるというのが、彼の
道徳感情論の主張です。
20世紀よりも、今日の方が、世界は共感し合えるようになったはずです。
インターネットやテレビの大衆娯楽のおかげで、我々は例えば西洋人だったら
アジア系のこと、白人だったら黒人の事を理解できるようになりました。
100年前の人々と比べれば、より共感できるようになったと思います。
楽観的になる理由があります。
その理由が正しいものなら、21世紀は憎悪の世紀にはならない。
共感の世紀になるはずです。
理想的な未来において、気候変動の危機に直面した際は、我々に共通する
人間性が相互の違いを脇に置いて、未来の孫とひ孫たちのために、地球を
救うべく団結する事になるでしょう。 その可能性はあります。
しかし、これは私が書いた本の主要テーマですが、つながった世界は、単に
共感の世界ではありません。
我々の作り出した、巨大なネットワークには、病理が潜んでいます。
2極化や分裂を広げる事も出来るのです。
フェイクニュースも、本当のニュースも伝わります。
だからこそ、別のシナリオも考えるべきです。
21世紀が無秩序の時代、カオスの時代、永続的な衝突の時代、内戦の時代
そして米中間のような大規模なものから、異なる国の人たちが、些細な事で
争うような小規模なものまで、紛争の時代になるというシナリオです。
共感の時代になる可能性もある一方で、カオスの時代になるというリスクも
あるのです。
映画史の初期、フリッツ・ラング監督のメトロポリスという素晴らしい映画が
ある。 そこには、現代社会のメタファーが描かれている。
映画の中のメトロポリスは、この様な(現在の様な)大きなタワーで、ペント
ハウスのスイートルームの様な最上階の部屋に、人々が集まるのだよ。
サイレント映画メトロポリス。(1927年ドイツ) 1世紀近く前に作られた大作だ。
描かれているのは、当時から100年後の未来都市、すなわち、今、私たちが
暮らす、世界のありようだ。 知識階級と労働者階級に、引き裂かれた社会。
映画は、全ての現代都市に共通する、緊張関係を象徴している。
裕福なエリートと、貧しい民衆の緊張関係だ!
現在、世界中の都市で、大規模なデモが続けて起きている。
香港・チリのサンティアゴ・レバノンのベイルートなどでね!
これらの出来事には、似た性質がある。
エリートたちは塔の中にいて、一見、支配的な立場にいるように見える。
その下にある広場では、民衆が、指導者のないネットワークを作っている。
それは革命だ!
アメリカ人の多くは、日本の重要性を見過ごしています。
ですから、日米関係の重要性を気付かせる必要がある。
もしかすると日本も、自分たちの事を過小評価しているのかも知れません。
昨日、誰かが日本の事を、小さな開放経済だと表現しました。
私は、小さい?と聞き返した。 イギリス経済の2倍だぞと。
とても面白い現象です。
日本人が自分たちの事を、評価していないのかも知れませんね。
アダム・スミスは国富論において、定常状態というものがあると述べました。
18世紀に、彼は中国の事をイメージして、そう述べた。
中国は、かつて成長していたはずだが、今は、それが止まっているようだ。
これが定常状態だと言ったのです。
これは政策と社会的・政治的・経済的な要素の組み合わせに起因していると
彼は主張しました。
ところが中国の官僚、公務員たちはこの定常状態に満足していて、エリートは
大衆の貧困など問題とは見なしていなかった。
これがスミスの定常状態についての考え方です。