FC2 トラックバックテーマ:「生活の知恵を教えてください」新・旧中国は、政党の世界で、政党員が子供に経営を継がせる高収益の
国有企業です。
そして旧・旧中国は、北部の寂れた工業地帯にある採算性の悪い国有企業
です。 これら3つの中国は、実は調和し合ってはいません。
特に、新・新中国と新・旧中国の間、テクノロジー中国と政党中国の間には、
緊張関係があります。 ですが外にいる我々には、その事が余り見えません。
我々は、彼らの考えは一致していると、思い込んでいるのです。
なぜならジャック・マーが、最終的には国家主席の顔色を伺うからです。
ですが私は、彼らの間には、かなりの緊張関係があると感じます。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーは偉大なソングライターだっばかりでなく
人々が一般的に認識していたよりも、深く物事を考えていたと思います。
Can't Buy Me Love は、素晴らしいビートルズの曲で、ほとんどの人の記憶に
残っているでしょう。 お金で、いくらかの欲望を満たす事は出来ます。
資本主義は、人々の物質的な欲望を、かなり満たしてくれます。
素敵な飲み物を飲みたい、素敵な服を着たい、素敵な食べ物を食べたいと
いう欲望を満たしてくれます。 ですが、愛は買えないのです。
ですから、人間生活を資本主義のみによって、満足させるのは不可能だと、
我々は認識しなければなりません。
我々の性質には、確かに、ホモ・エコノミクス的な部分があります。
利益を最大化させようとする、経済人です。 ですが、それは一部分です。
我々は、市場における日常の一部なのです。
労働力を売る人もいれば、必要な物や、欲しい物を買う人もいます。
不要な物なのに、仕方なく買う場合もあります。少数ですが資本家もいます。
経済ゲームに勝つ真の方法は、資産を所有して、利益(リターン)を得る事だと
理解した人々です。
これなら、1日中ベッドで寝ていながら、労働力を売る人よりも、多くのお金を
稼げるのです。 これが経済の世界です。
資本主義の世界であり、重要な世界です。
そんな世界はなくても問題ない、と考える社会主義者や共産党主義者は、
大変な代償を払う事になるのです。
なぜなら、資本主義の世界を壊せば、その先には恐ろしい貧困が待っている
からです。 飢え、飢餓、欠乏… ベネズエラのような状況になります。
一方で、我々が自らを欺き、世の中には市場しかなく、それ以外のものは
不必要で、余分なものだと考えれば、別の運命が待ち受けています。
かつて知り合いに、全てが取り引きだと考えていた人間がいました。
全てが経済活動だとね。
彼は自分の家族でさえ、資産ポートフォリオの一部だと思っていました。
彼にとって離婚は、取り引きであり、経済活動です。
彼の子供との関係も、彼が所有する企業との関係のようでした。
お金だけが重要だと考える者の運命は…築き上げた家庭を全て壊してしまう
のです。
ですから社会的ネットワークの世界では、人々には、それぞれ全く違う人生が
あると、認識しなければなりません。
伴侶や両親、子供の愛は、究極的には、市場にある、いかなるものよりも、
我々にとって、ずっと重要なのです。 そのような愛のある関係。
人間生活を最も満たすもの、我々が最も気にかけているもの。
これらは、より広い友情の社会的ネットワークの中にあるのです。
私は、友情は重要な欲望の形だと思います。
我々は愛だけでなく、友情も欲しいのです。
より遠い形の知り合いだって欲しい。
今日、我々が会話する中で築いたような関係がね。
なぜなら、伴侶との関係よりずっと浅いとしても、この関係にも満足感がある
からです。 実は本の執筆中、経済学者カール・ボランニーの事を考えた。
そして、経済学者が必死に、市場での個人匿名性を強調して来た事に驚き
ました。 そこでの個々の関係には、基本的に取り引きに関するものです。
これは市場の理想形で、実在はしていないと思います。
なぜなら実際、そんな市場は多くないからです。
大抵、我々は何らかのヒエラルキーが存在する社会組織か、やり取りの繰り
返しをベースに関係が成り立つ、何らかの社会的ネットワークの中に存在して
います。 つまり、純粋な市場は多くないのです。
思うに、学問としての経済の欠陥の1つは、ネットワーク・サイエンスと、特に
我々が理解する社会的ネットワークを、きちんと取り込めていない事です。
本の執筆中に読んだ興味深い論文のいくつかはその問題に取り組んでいて
ネットワーク・サイエンスを経済に取り込んでいました。
そして最終的には、我々は単に利益の最大化を追うだけでもないし、価格を
決めるために、情報に群がるだけでもないと示唆していました。
だから経済理論は、未来を的確に予測出来ないのです。
経済学者が使うモデルが、単純な想定をしているからです。
我々が人との関係を大事にする、社会的ネットワークの中で、どう振る舞い、
ネットワーク内のその人との距離によって、どんな取り引きをしようかと考える
のかが重要なのです。
タワーの階層的な秩序を、今、さまざまなネットワークが、かく乱する。
最先端のデジタルなネットワークが、中世のような関係性。
そして、争いをもたらしているとしたら、歴史は繰り返す。
その時、私たちを待っているのは、悲劇か? 喜劇か?
欲望の資本主義の探求は続く…。