FC2 トラックバックテーマ:「生活の知恵を教えてください」ウォール街にやって来ました。 いまだに人類史上、最も力のある証券取引所
です。 およそ10年前の2008年、世界の基準が変わり、今なお私たちは、
苦しみ、もがいている。 一体、なぜ?
元々ウォール街は、入植者たちが先住民たちを隔てる壁として機能しました。
今は目に見えないけれど、代わりに、あなたを実際の取り引きと隔てる壁が
あるのです。
ここでは、人間の行動が測定可能なモデルに、象徴的に変換されている。
あなたの行動は、経済的な価値として変換される。
そして今やあなたを取り囲む、完全に見えない壁となったのです。
やめられない、止まらない。
欲望が欲望を生み、闘争が新たな闘争へと人々を駆り立てる。
その時、逃れる術はあるのか? 闘争の資本主義を越えて。
この国にいる限り、資本主義は、つきまといます。
以前、ホームレスと話した時、 なぜ、この国に残らないの? と聞かれた。
ドイツで良い職に就いている、と答えたら、彼は言った。
裕福なドイツ人より、ホームレスでもアメリカ人がいい、と。
なぜ?と聞くと、 世界で最も偉大な国だから。
資本主義は、とても深く根付いているのです。
空が、とても美しい。 さまざまな色の層があるね。
大気の汚染で、夕焼けが、モヤがかかってるけど…。
ここで見ている美しさにも、現代社会の根本的な問題があるのです。
Q: 今、見える景色にも、闘争が表われているのですか?
本当の闘争を見たければ、下を見てください。
この6番街にも、1つの社会システムがあります。 ここで社会学ができます。
なぜ、人は、44階に住みたがるのか?
なぜなら、自分が闘争から逃れて、人々の闘いを観察できるからです。
優越的な立場、高層階での暮らしは高くつく。 眺めは美しい。
しかし、なぜ、美しいのか?
それは、神やトランプのように、街を見渡せるからです。
映画、市民ケーンのファンタジーには社会を超越できるポジションがあります。
窓の外を眺めれば、絶え間ない闘争の複雑な網目構造があるのです。
経済的地位を維持する闘いは、困難が付きまといます。
安住できる地位は、ありません。 近代的な問いは、次のようなものです。
社会の個々の要素、人間・動物・世帯が、戦争状態に陥らず、社会的に結び
付くには、どうすればいいのか?
あのホッブズによる、近代政治理論の幕開けです。
ホッブズは、社会における私たち個人の行いは、相手を破滅させる試みに
ほかならないと考えています。 ホッブズによると、社会の形態とは戦争です。
平和な状態とは、戦争を組織する特別な状況にすぎない。
人間がオオカミだという、ホッブズの有名な考えだ。
人類は、互いを憎み合っている。
なぜなら私たちは、社会と関わりたくないから、というわけです。
生存に向けた利害利益ゆえ、互いに戦い始めます。
ホッブズの有名な見解です。 この考え方を、個人主義と呼びましょう。
個人主義によれば、マーガレット・サッチャーが言ったように、
社会とは、個人にほかならない。 個人がいるだけで、社会は存在しない。
という、有名な見方です。
それに対し、ルソーが導入した反対の見解があります。
社会契約という考えです。
ルソーによれば個人が共に集まる社会では個人より先に社会が存在します。
社会は、個人が活動する空間を作り出します。
ルソーは、個人に先立つ全体を信じていました。
社会全体から始まる個人は、全体から生産される。
どちらの考えにも、問題があります。
いずれも、社会と個人が、両立しない結果をもたらすからです。
もし、社会システムの定義に誤りがあれば、実際の経済理論も誤った理論に
なる。
経済モデルが人間の本性と社会を見誤れば、私たちも過ちを犯す事になる。
学術系シンクタンクの提言を実行すれば、社会は破壊されます。
私たちが闘争から抜け出す解決策は、あるのでしょうか?
問題解決には、何が必要なのでしょうか? 理想的な社会の構造とは何か?
この点を考えるために、簡単な区別をしてみましょう。
人間の生活形式と、生存形式との区別です。 2つは混同されています。
経済学も、資本主義も、最適を求める生存のための戦いです。
進化生物学、ダーウィニズムの方法を、社会に当てはめようとしています。
社会ダーウィニズムは、過ちを犯しています。
(社会ダーウィニズム→ダーウィンの適者生存の理論で社会現象を説明しよう
とする立場)
なぜなら、社会ダーウィニズムの概念は、完全に社会を統計や物理学として
捉えているからです。
社会の構成員を数学的に表し、数字か動物のように管理します。
闘争と捉える事が、更なる闘争へと駆り立てること。
しかし、それは人間本来の性質ではない。
理想的な社会では、生存形式は複雑な福祉国家のシステムによって、管理
されています。 特定の生存レベルを保証するために、必要な制度です。
理想的な社会では、無条件のベーシックインカムが必要です。
誰も飢えるべきではないし、人々を飢えさせてはならない。
しかしあらゆる手だてを尽くして生存形式を保証しようと考えられていません。
より重要なのは、生活形式も含めた経済学です。
人間の生活形式とは、何でしょうか? 人間の生活とは、精神です。
精神とは、私たちが意味の次元で、生きている事を意味します。
私たちは意味ある経験を欲します。だから芸術や美味しい料理を楽しみます。
それは単に、タンパク質とカロリーだけではありません。
多くのアメリカの食文化は、エネルギーと代謝計算に置き換わってしまって
います。 本当の食事は、生存形式ではなく、生活形式によって起こります。
私が理想の社会を述べた背景に、意味の場の存在論があります。
これらの窓は、どれも現実への見方を与えてくれます。
どの窓も、現実への見方を変えてくれます。 窓には、何が見えるでしょう?
窓には対象が見えます。
窓ごとに異なる対象が見え、どの窓にも、意味の場が存在します。
社会は、そのように機能しているのです。
窓には、あなたの、かつての人生の一部が現れ、重なり合っている。
他人と共有する歳月がある。
常に関係し合う多様な視点が、絡み合っています。
今の社会モデルは、大人を前提としています。
子供の頃の体験が、意味ある正しい現実の体験である事を皆、忘れている。
この現実を変えなければなりません。