FC2 トラックバックテーマ:「生活の知恵を教えてください」私が哲学者として成し遂げたい事の1つは、あらゆる種類のギャップを埋める
事です。
現実が科学的世界観が描くよりもより複雑だと判明したらアメリカの政治家も
より意識を高め、他の文化や環境などへの関わり方に慎重になる可能性が
あります。
デジタルなテクノロジーでは捉えきれない、この世界の複雑性。
それこそが、精神という名の豊かな可能性だとしたら…。
精神を捉えようとする哲学の試みが、新たな仮説を提示する。
もし人間の思考が、感覚だったら?
この本の一部を見ただけで、本の全体がある事が、なぜ分かるのか?
今、本を叩く音が聞こえる。 目をつぶったら、本がある事は分からない。
ノックの音しか聞こえません。 目を閉じても、本を感じます。
目を開ければ、本が見えます。
見て、聞いて、触って、本があると分かるのは、なぜか?
本は食べて味見まではできませんが、では、どうやって様々な感覚を、1つに
結び付けるのでしょう?
この有名な結合の問題は、経験的に解決されていません。
今のところ神経科学者も、心理学者も、医者も、誰も分かっていません。
なぜなら、誰も思考の感覚を、想定していないからです。
私は、今、ブルックリンにいます。 私は、なぜ、それが分かるのでしょう?
周りを見渡す事と… 考える事によってです。 考える事は見渡す事でもある。
この私の考えは、見かけよりも非常に革命的な発想です。
脳の機能を、再認識しなければならないからです。 詳しく話します。
これは、ラディカルな考えなので、仮説として提示しましょう。
あなたは、今、私を見ていますが、私にとっては、未来の存在です。
なぜなら、この番組は、現在、制作中だからです。
今、ご覧になっている方は、ご存知ですね? あなたは今の私を見ていない。
あなたは未来において、テレビ画面の中に、私の表象を見ています。
私のイメージは、こうして現実の一部となります。
未来に起こるので、時間的次元を持っています。
私たちは、互いに影響し合っています。
私がここにいるのは、皆さんと話しをしようとしているからです。
私の想像力と、あなたが持つであろう私へのイメージが、私が今、何をして
いるかを、規定しています。 未来に起こる事が、現在の出来事を規定する。
私たちは、頭蓋骨の中に隔離された脳だと考えるよりも、ずっと深いところで
関連し合っています。 私たちの間には、互いを隔てる境界は存在しません。
思考もまた、感覚である。
この大胆な仮説に立てば、理性と感情という2元論も揺さぶられる。
そもそも、人間の思考とは何か? その時、倫理は?
人間の本質を見つめて来た、世界的なドイツの人気作家は、どう答える?
“私は、美学の問題に関して、ドイツ観念論の伝統… 特にカントの観点
無関心な満足から来ていると思います”
“彼が言うところの、芸術に付随する美とは、常に個人的な興味と結び付き、
道徳と切り離せない特徴がある”
“カントは人間関係について明確に言い切っていませんが、私達が道徳的に
完全に無関心になる事は、決して出来ないという事だと思います”
美しい花がある。 花の美しさという様なものはない。 (小林秀雄)
観念に先立つ体験。 理性に先立つ道徳。
“美と善の間には、つながりがありますが、見つける事がとても難しいのです”
まさにカントは言っている。
君らは、自らの人格と他者の人格にある人間性を、手段としてではなく、目的
として扱えと。 倫理は1つ。 それは、カントに基づく倫理学です。
“小説とは、常に他者の目から世界を見て、別の世界を想像するトレーニング
です。 人々が小説を読み始めた頃、社会の暴力は減少したのです”
“誰であれ、拷問者にも殺人者にも、恐ろしい人間にもなりうるのですが、
精神や心・魂… 他者の視点の立つ事は、常に道徳的行為そのものです”
“何者であれね”
トンネルを抜けると、街は光で満ちていた。
だが、不安症のドライバーの心の底までデジタルな光は照らしてはくれない。
不安と鬱屈(うっくつ)を、誰もが抱えている。
それでも、他者への想像力、無垢な感情の発露(はつろ)が、人を救う。
実は、こころの解放こそが倫理であると発見した、ニューヨークの夜…。
運転してくれた彼には、さまざまな事が起きて、不安発作を起こしてしまった。
私たちは、車の中で、アメリカについて議論していた。
日本語を話す日本人が撮影したり、ドイツ人が英語でアメリカについて話しを
したり…。 彼には、この状況を消化する事が出来なかった。
だから彼の脳みそは、焼き切れてしまった。
外人は騙すが彼の最初の発言だった。 つまり彼は私たちを恐れていたのだ。
私たちは同じ船に乗っているだけ。 何も心配する事はないと…。
彼が気付いた時の事を思い出してほしい。
それによって、彼はトンネルから脱出できた。 これは本当に洞窟の寓話だ。
私たちは彼をトンネルから引き出した。 全くプラントの寓話(ぐうわ)そのもの。
彼がした事を、私たちもしただけだ。
ある時点で彼を異質とみなさず、彼も異質であると感じなかった。
彼は、ただ1人の人間で、そこに深い違いはない。その事が非常に重要です。
それが倫理です。
倫理とは、異質という錯覚を、あなたが彼だったかも知れないという事実に
転換すること。 私は今の自分になったが、あなただったかも知れない。
私は、あなただったかも知れない。 これが重要です。
倫理の基本的なポイントです。 私は反対側にいる事もできる。