FC2 トラックバックテーマ:「おうち時間中、手に入れた、上達したスキルは?」そうしたフィリピンの庶民感情が、日本軍がアジア各地から財宝を略奪し、
山下大将の元に集めたという幻想を生み出したのだ。
フィリピンの人たちは、言う。
“山下財宝とは、第2次世界大戦の時、日本軍が占領した国から持って来た
ものです”
“日本軍が、アジア諸国から奪った宝です。 つまり、アジアの宝です”
日本が、かつてフィリピンで残した深い爪痕は、数十年をかけて、巨大な都市
伝説となった。
このチームは、バギオ周辺の洞窟で、3年前から山下財宝を探し続けている。
根拠は、やはり、日本軍が戦争中、謎の箱を持ち込んだという目撃証言だ!
Q: いつまで掘り続けるつもりですか?
“出るまでだよ… 出来る事を、忍耐強く、やり続けるだけです”
今日も、フィリピンのどこかで、一攫千金を夢見る人々が、ヤマシタを求め
続けている…。
Q: 背景には、やはり戦争というものが、大きく影響しているのだという事が、
改めて分かって来たわけですが…。
現在のフィリピンは、東南アジアの中でも、世界の中でも、最も親日的な…
日本に対して、良い印象を持っている人が多い国だと思います。
ただ、戦争が終わった時点では、最も反日感情が強かった。
その過程には、3つぐらいの要素があると思うのですが、1つは、1960年代
以降に、日本の方々が、フィリピンで遺骨を収集し霊をおさめる事をしている。
それは、フィリピンの人たち、たくさん見ているわけです。
あっ、やっぱり、同じ人間だったという事で、まぁ、ひとつ許しを。
それと、もう1つは、1953年に、キリノ大統領が政策的に日本を許そうと。
それはキリノ大統領としては、日本と戦後、良い関係をつくって、フィリピン
自体にも、利益をもたらすような関係を、外交関係をつくりたいという事だった
のですが、これ、議会は猛反対です。
議会は大反対なのですが、大統領恩赦で、旧日本軍人を返した。
3つ目は、フィリピン人自身の植民地心理です。
そこでは、色々と苦しめられ、命も奪われ、財産もとられ、色んな事をしている
のですが、まぁ、そういった関係は、もう過去の事としておさめて、山下財宝と
いう富を、自分たちが獲得する事で、彼ら日本軍が残したであろうものを、
自分たちのものにするのだと。
そういうところで、ネガティブなメンタリティを解消して行く。
財宝でも見つけて、見返してやりたいなという、そんな心理ではないかと…。
発見して、見返してやりたいというのは、分かりますね。
その財宝の存在を信じる人たちの気持ちと、単一ではないと思うのです。
欲だけでもなさそうだし…。
やはり、戦争中の思いを引きずっている方も、若干いますよね。
そういうものが、今の若い人たちにも、少しは伝わってて、強大な日本だから
そういうものを残していて当たり前。
ひどい事をしたから、そういうものを置いて行って当たり前みたいな…。
それを、我々が、探し出して、見返してやろうという印象は感じました。
Q: 専門家の方は、その山下財宝伝説を、どのように感じていますか?
この伝説は、これからもずっと、フィリピンに息づいて行くと思います。
そして、日本でもそうなのですが、時間が経てば経つほど、ロマンの度合いが
濃くなって行くと思います。
それと、探す人が多いほど、その部分が折り重なって、誰が、いつ、どういう
根拠で掘ったのか?というのが、ストーリーの中に組み込まれて、だんだん
輝きを増してくると思うのです。
ひとつのエンターテイメントとして、息づいて欲しいなという願いでもあります。
フィリピンの人たちは、結構、この山下財宝に関わる話しを、楽しんでいるの
ではないかなと…。
例えば、ちょっと調べたのですが山下財宝という事でユーチューブを調べると
すごく、たくさん出て来るのです。
タガログ語のものは、例えば300万とか700万とか、アクセス数が非常に多い
のです。
それは地図をもとに、河原の近くを掘ってって、何か箱が出て来ると。
で、全然、違うのです。
全然、違うのですが、そのコメントを見てみると、また面白いのです。
見つかって良かったねとか、夢があるねとか…。
みんな、それが本物じゃないという事を了解しながら、すごく楽しんでいる
のです。
そういう意味で言いますと、70年も前の事で辛い経験の延長にあるのですが
それを辛いものとして引き継ぐのではなく、今につながるエンターテイメントと
言いましたが、みんなが色んな形で楽しめるような話題になっている。
そういうのが非常に、フィリピンの人たちの素晴らしい考え方で、山下財宝は
そういうものが、まさに現れているのだなと思います。