FC2 トラックバックテーマ:「プレゼントで貰った少し変わったものを教えてください」今回は、世界中の映画やゲームで大人気のゾンビ・カルチャーです!
ゾンビとか怖いの苦手!という皆さんの為に、グロテクスな表現は抜きにして
明るく、楽しく、元気が出るゾンビの話題にしたいと思います。
今、ゾンビが熱い! 映画やドラマ、アニメにゲームから、町おこしまで!
さまざまなコンテンツに、ゾンビが登場!
死体が動く… 地味なキャラクターが… なぜ、人気を呼んでいるのか?
世界が10年も夢中の、感動! ゾンビドラマ?
ゾンビがアイドル? ファン投票、1位のアニメ!
全ての原点、ゾンビの父が、生み出した魅力とは?
知られざる元祖ゾンビは、タダ働き? この男性が、実在のリアルゾンビ?
裁判所で議論した… ゾンビは、人間か? 否か?
人間の尊厳を巡る、ゾンビ論争とは?
日本が発信する、ゾンビ・カルチャーの魅力!
現代社会でゾンビが広げるエンターテイメント、その可能性に迫る!
果たして、連邦憲法裁判所の判決は…。 (1992年10月20日)
ゾンビは人間に該当しないため、それに対する暴力行為の表現は、人間の
尊厳を侵害した事にはならない。
ゾンビは人ではない! よって、地方裁判所のビデオ回収措置命令は、検閲
にあたるとして… ビデオ会社の主張が通ったのだ!
しかし、この裁判がキッカケで、11年後、ドイツ刑法131条には、暴力表現の
対象として、人間だけでなく、人間に似た存在という文言も書き加えられた。
例えフィクションであっても… 人の姿をしたゾンビに対する残虐描写は人間の
尊厳の侵害にあたる可能性を示すものであった。
その後、1991年、羊たちの沈黙は、ホラー映画の流れを大きく変える。
人間心理の恐ろしさをリアルに描く、サイコホラーのブームをつくったのだ。
一方、ゾンビものは、先行作をマネしたり、パロディーにしたりする作品が増え
新しい波をつくる画期的な作品が出なくなってしまう。
ゾンビ映画評論家は、言う。
“90年代は、特にホラー映画好きな人たちが、自分たちでゾンビ映画を撮って
ネットで販売するという形が結構、出て来て、大体そういうのは、あまり見る
人の事を優先しているわけではなくて、自分たちが撮りたいモノを撮っている
だけなので、あまり面白くはないですね…”
“その中で、ゾンビそのものが、飽きられて来たと思います”
1990年代、ゾンビ映画は77本と、半減!
ゾンビは、冬の時代を迎えるのだった…。
Q: ゾンビ映画というのは、隆盛から衰退へと向かって行くわけですが、その
原因というのは、どういうところにあったのでしょうか?
バタリアンという、ナイト・オブ・ザ・リビングデッドの別の流れで出来た続編が
封切られるのですが、そちらはパロディーというか、ちょっとコメディータッチに
して、笑いをツイストしたような映画だったのです。
そこで、どちらが新しいかというと、バタリアンだったのです。
それが、すごく当たったので、メジャースタジオが、ともかく、それまでホラー
映画を、ちょっと持て余し気味だったのです。
なにせ残酷なシーンを入れないと、お客さんが来ないけど、入れると、メジャー
スタジオが、何やってるんだっていう話しになるので…。
なので、このコメディーホラーは、もしかして救世主じゃない?っていうので、
そういうのが、いっぱい出来てしまったのです。
でもホラーファンは、怖いものを見たいのに、おちゃらけ映画ばかりというので
それで少しゾンビを敬遠するような動きが出て来て、下り坂になってしまった。
Q: あと、死霊のはらわたという映画で、その残虐性を巡ってドイツでは裁判
になったわけですが、裁判のポイントとして、破壊されるゾンビが、そもそも、
主人公のお姉さんだったり、恋人だったりするから、人間と一緒の感覚として
扱われたと。
そうですね。 やはり、家族だったみたいな事が効いてくるのが、ゾンビの
独自性だと思うのです。
この死霊のはらわたの場合は、割と、ドタバタギャグコメディーみたいな感じで
無茶苦茶にしてしまうのです。
やはり、それをベタに取ってしまうと…家族だった人に対して、遺体の損壊
みたいな風にも取れるわけじゃないですか。
だから、家族の愛は、なかったのか?とか、愛してるはずのものに対して、
ここまで加虐性を描いていいのかという、そういう議論につながってしまう。
だから、もろ刃の剣ですよね。
そういうものを見て、色んな事を考える人もいると思いますし、悪い影響を
モロに受けてしまう人もいる。
刺激が強いものは、1回それを味わってしまうと、ちょっと後戻りできなくなる。
そうやって、議論して行くしかないと思います。
ここまでは、やっていいのか? どうなのか?という事を、冷静に議論して行く
という事ですよね。
その冷静さを失ってしまうと、逆に、こんなのは撮ってはいけないんだ!とか、
抑圧して行くのも、いい姿なのかというと、人間の社会としては、余りいい姿
とは思えない。
ドイツなどは、少し、そういう残酷なものに対して、歴史とかもありますから、
国ぐるみで、少し敏感なのかなと思います。
どういう文脈で見るかによって、結構、見方って、変わりますよね?
ドイツだと、やはりナチス・ドイツの歴史的な部分というのがあったりするので
人間に対して、本当に加害行為を、相当やっているという部分があって、
そこと結び付いてしまうという可能性もあります。