第2121回「去年の今頃は何をしていましたか?」国王ジョージ6世は、国民の士気が高まると考え、娘の入隊を許可した。
軍用車の整備や修理を習い、自ら救護トラックも運転した。
1941年6月。 ドイツは不可侵条約を破って、ソビエトに侵攻する。
ドイツ軍の急襲を受け、ソビエト軍は崩壊した。
激減した兵力を補ったのが、100万人ともいわれる女性兵士たちだった。
女性だけの爆撃部隊も編成された。
参加したのは、17歳から22歳までの115人。 その大半は、学生だった。
彼女たちが出撃する映像が、残されている。
夜の闇に乗じて、ドイツ軍の司令基地や歩兵部隊を爆撃するのが、主な任務
だった。
正確な爆撃を期すために低速飛行する、命知らずのスタイルで、ドイツ軍に
夜の魔女と恐れられた。 地上戦では、女性のスナイパー部隊が活躍した。
エース・スナイパーのリュドミラ・パブリチェンコ。
300人以上のドイツ兵をしとめ、ソビエト政府から表彰された。
パブリチェンコは国家の英雄となり、狙撃兵の教官に抜てきされる。
そして、多くの若者たちを前線に送り込んだ。
ソビエト以外でも、10カ国以上で女性部隊が設立された。
しかし、前線に向かった女性たちを待っていたのは、想像を絶する過酷な
現実だった。
元ソ連兵の証言 (戦争は女の顔をしていない) より。
“初めは、耳や鼻から血が流れ、完全に胃をやられた”
“ノドがカラカラになって、吐き気がするほど”
“自分めがけて飛行機が降下して来るようで”
“自分のいる高射砲に向かって来るようで”
“今、おまえを狙っているって、おまえを消してしまうんだって”
“女のあれが、全く止まってしまいました。 分かりますでしょう?”
“戦後、子供を産めなくなった人が、たくさんいました”
‘アメリカの女性は、いたるところで軍服を着ている’
当時のニュースより。
“新年を迎えたニューヨークです。女性兵士たちが新しい軍服を披露しました”
1941年12月には、アメリカも参戦。
およそ20万人の女性が兵士となり、主に通信などの後方支援に当たった。
しかし、女性たちの最大の活躍の場は、軍需工場だった。
600万人のアメリカ女性が、飛行機や兵器の工場などで働いた。
そんな女性の1人が、軍のカメラマンによって撮影された。
レンズを向けられ、照れた笑みを浮かべる19歳。 彼女の名はノーマ・ジーン。
この撮影がキッカケとなってモデル事務所にスカウトされ、後にマリリン・モンロー
という名で、女優デビューを果たす事になる。
1944年8月。 アメリカを中心とした連合軍によって、パリが解放された。
しかし、新たな憎しみが街を覆う。 ナチス協力者に対するリンチである。
それは、ドイツ兵と親しくしていた女性にも及んだ。
パリ市民の日記 より。
“ある女性が連れて来られて、髪を刈られた。 人々は叫び声を上げていた”
“不幸な女性は、口を開いた。 許してください、もうしませんから…”
“目に涙を浮かべてはいなかったが、表情はうつろだった”
“無害に見えた群集が、人殺しをもいとわないほど、乱暴な人たちになってし
まった”
シャネルはスイスに亡命した。愛人のドイツ軍諜報機関の高官も一緒だった。
ドイツの同盟国だったイタリアは、既に、無条件降伏していた。
ムッソリーニは、ドイツ兵に守られながら、逃避行を続けていた。
彼が連れていたのは、妻ラケーレではなく、愛人のクララ・ペタッチだった。
1945年4月。 パルチザンに拘束され、ムッソリーニとペタッチは銃殺された。
遺体は、ミラノのガソリンスタンドにつるされた。
残された妻ラケーレは、追及を免れた。
そして子供たちと、ひっそりと戦後を生きた。
ベルリンでは、ソ連軍の総攻撃が始まった。
総統官邸の地下壕で指揮を執るヒトラーのもとに、1人の女性がやって来た。
愛人エヴァ・ブラウンである。
ヒトラーの秘書の証言 より。
“彼女が突然、ベルリンに来た時、ヒトラーは怒ったフリをしていました”
“でも彼の目は喜びに満ちていた。 彼女が来た事を喜んでいたのです”
ベルリン陥落直前、ヒトラーは近しい配下だけを集め、脱出を命じた。
“その時、突然エヴァが、ヒトラーの方に数歩、歩み出て言ったのです”
“私は離れない! 側にいるわ! 私を追い払わないで!”
“すると彼は、驚くべき行動に出ました”
“それまで人前で見せた事のないものでした。 彼女に口づけしたのです”
4月28日。 ヒトラーは、総統官邸の地下壕で、エヴァと結婚式を挙げた。
その2日後、2人は命を絶った。 終戦直後のベルリンを映した映像。
続々とソ連軍の戦車が入城する。 不思議な映像がある。
交通整理を行う、1人のソビエト女性兵士。 (リディア・スピヴァク)
“バリケードを踏み越えて、ここまで来たのよ! すごいでしょう!”
彼女は、ふるさとをナチスに破壊され、友人と一緒に軍に志願した。
“私の事? 私は、ただの田舎娘よ!”
“高校生の時、戦争が始まって軍隊に入ったの”
“ウクライナ・クリミアと長い道のりだったの”
“でも、とうとうベルリンまで来たわ!”
彼女のりりしい姿は、勝利の象徴としてソビエト中に知れ渡り、ブランデンブルク門
の女主人と呼ばれた。