FC2 トラックバックテーマ:「肌身離さず持っているもの」1954年。 日本は、1人の女性の来日に沸いた。
ハリウッドスターのマリリン・モンロー。
20世紀のセックスシンボルが、新婚旅行に選んだのは、日本だった。
日本中のマスコミは伝説的メジャーリーガーであった夫のジョージ・ディマジオに
目もくれず、モンローを追い回した。
“バルコニーから投げキッスするモンローを、やっとの思いで眺めながら、ただ
うっとりと、もみ合っていました”
しかしモンローは、アメリカ軍から、ある指令を帯びていた。
そして、夫を置いて日本を抜け出す。 向かった先は、韓国。
朝鮮戦争を戦う、アメリカ軍兵士の慰問に訪れたのだ。
10万の兵士が、突如、現れたモンローに熱狂した。
肌をあらわにした衣装で、男たちを魅了するモンロー。
しかし映像をよく見ると、彼女の息は白く染まり、ミゾレもちらついている。
兵士たちも、分厚いジャンパーを着込んでいる。
実は、この時、韓国は極寒の真冬だった。
10カ所でコンサートを行ったモンローは、風邪をひく。
しかしステージでは、みじんも、それを感じさせなかった。
マリリン・モンローの自伝 より。
“私は、自分が世界中の大衆のものである事を知っていた”
“それは、私が才能や美貌に恵まれているからではなく、大衆以外のどんな
ものにも、どんな人にも、属した事などなかったから…”
映像が誕生してから100年余り。
カメラは、激動の時代を生きる女性たちを記録して来た。
ファッションデザイナーのココ・シャネルはコルセットで縛られていた女性達の
体を解放した。 ある者は、銃を取って男たちと戦った。
ある者は、独裁者の傍らで、世界の地獄を見た。
ある者は、超大国の支配に、無言で抗議した。
歴史の激動の裏側には、いつも、女性たちがいた。
自由を求め、愛を貫き、誇りをかけて戦った、無数の女性たち。
男たちが動かす世界に、輝きを放った。
激動の時代を生きた女性たち。
世界に立ち向かった女性たちの悲しく、誇り高い物語である。
1968年8月。 チェコスロバキアの首都プラハを、7000台の戦車が占拠した。
プラハの春と呼ばれた急激な民主化を警戒した、ソビエトによる弾圧だった。
それから2カ月後、1人の女性が、身をもって大国の横暴に抗議する。
女子体操。 鬼気迫る演技で、4つの金メダルを獲得した、チェコスロバキアの
ベラ・チャスラフスカ。 床運動で、ソビエト選手との同点優勝となった。
(メキシコオリンピック/1968年10月)
ソビエト国歌の演奏が始まった時だった。
ソビエト国旗から目を背け、うつむいた。
彼女が何を訴えたいのか? 映像を通じて世界が理解した。
1989年11月。 ベルリンの壁が崩壊。
東ヨーロッパの社会主義政権全体が、ドミノ倒しのように崩れて行った。
チェコスロバキアでは、民主化を求める学生のデモが、20万人の大集会に
発展。 社会主義政権が打倒された。
流血なしに成し遂げられた事から、ビロード革命と呼ばれた。
1989年11月24日。
“これから登場するのは五輪で7つの金メダルを獲得したベラ・チャスラフスカ
です!”
革命が成った夜に、人々の前に現れたのは、チャスラフスカだった。
引退後も、共産党政権の圧政に、抗議を続けて来た。
“私の人生は、ずっとスポーツ一筋でした”
“最高の感動と幸せを経験して来ました”
“その中でも忘れられないのは、表彰台のてっぺんに立ち、祖国の旗を見た
瞬間です。 私が愛したその旗は、どんな犠牲にも耐え抜く覚悟をくれました”
“そして私たちは、今日という日を迎えました”
“暴力を排し、誰もが望んで来た願いを実現させましょう!”
その背中で、国民に勇気を与え続けた、ベラ・チャスラフスカ。
2016年8月、74歳の生涯を閉じた。
2014年のノーベル賞授賞式。 史上最年少で平和賞を受賞したのは、1人の
少女だった。 パキスタンのマララ・ユスフザイ 17歳。
女性が教育を受ける権利を訴え続けて来た功績が、評価された。
マララの故郷は、イスラム過激派組織タリバンが支配し、女性は教育を受ける
必要がないと、多くの女子校が爆破されていた。
それに、あらがう声を上げたのが、まだ11歳のマララだった。
“圧政や迫害に反対の声を上げましょう!”
“権利を奪おうとするものを恐れないで!”
2012年10月。 パキスタン・ミンゴラ。
マララを待っていたのは、タリバンによる報復だった。
襲撃を受け、生死の境をさまようほどの重傷を負った。
しかし、マララは立ち上がった。 更に、力強く。 (2013年7月12日/国連本部)
“タリバンの銃弾は、私たちを黙らせる事は出来ませんでした!”
“私の生き方は、少しも変わっていません!”
“むしろ、弱さや恐れ、絶望は消え、強さと勇気が生まれました!”
世界の指導者たちも、マララを支持した。(エリザベス女王やオバマ大統領等)
マララは、シリア難民のための、女子校の建設などの取り組みを行っている。
今も、この世界では、無数のマララが、闘いを続けている。
2016年11月9日。 ニューヨーク。
史上初のアメリカ女性大統領を目指した、ヒラリー・クリントン。
敗戦の弁は、歴史に残る、名スピーチといわれている。
数年後、数十年後、世界の誰かが、大2のヒラリーとして現れる日が来るだろ
うか?
“私は人生をかけて、自らの信念のために戦って来ました”
“成功もありましたが、挫折もありました。 時に、深く傷つく事もありました”
“このガラスの天井は、どこまでも高く、そして頑丈です”
“でも、いつの日か、誰かが、きっと私たちが考えるより、もっと早く、それを
打ち破ってくれるでしょう!”
“今、この映像を見ている、全ての女の子たちに伝えます”
“決して忘れないで! あなたたちは、かけがえのない存在で、大きな力を
持っていて、この世界のどんな事にも挑戦する資格がある事を!”
“あなた自身の夢を追いかけ、実現してください!”