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世界が揺れたコロナ禍の中で、あなたなら、どんな立場を選ぶのか?

第2121回「去年の今頃は何をしていましたか?」
自由とは、好きなように、思い通りに行動する事ではない。 自由とは、誰かに
命令される事なく、自らの意志で、自らを律して生きる事だ。
(近代哲学の祖  イマヌエル・カント (1722~1804) )

ボン大学(ドイツ)の教授は、世界が注目する気鋭の哲学者だ。 ドイツ・ボン。
西ドイツ時代の旧首都が、教授のホームタウンだ。

ここで、哲学者による時代の診断が始まる。 新型コロナウイルスで世界が
揺れた、この春、彼は、地元の新聞に、こんな言葉を寄せた。

“私たちには、新しいグローバルな啓蒙(けいもう)の理念が必要なのだ。
私たちを分断する精神の毒に、ワクチンを打たねばならない”

現在、目の当たりにしているのは、いわゆる新自由主義の終焉です。
デジタル革命を加速させるべきという考え方に、心から異議を唱えます。
新たなウイルスの出現。

それが引き起こした、人類が経験した事のない規模のパンデミック。
今も、不透明感は消える事がない。 マスクの着用を巡って衝突する人々。

待ち望まれるワクチン開発の裏で、国家の覇権争いが見え隠れする。
見えない存在への不安・恐怖が社会を、私たちを分断しようとしている。

今、考えるべきは? ボンはベートーベンの出生地で今聞こえるのが交響曲
第5番です。 ホームレスの方が、あそこにいますよね。 そしてスピーカーが
設置されています。

無実の彼らは、ベートーベンの曲が、邪魔で眠れないのです。 皮肉な事に、
ベートーベンが、この街の武器となってしまっています。

このパンデミックは、歴史的な瞬間です。完全に、革命期にいると思います。
このウイルスが、私たちに残された、最後のチャンスだと思います。

今、私たちは、空気感染に敏感です。 私もしばらくは屋内や大人数で家族と
集まる事は避けようと思っています。 会うなら少人数でね。 引き続き、ある
程度のソーシャルディスタンスを保つという事です。

リスクは大きく低下していると個人的には思いますが不要な接触は避けてい
ます。1から10の段階があって、10がウイルスを恐れて、家から出ない立場。

1が、どんな対策も必要ないとする立場だとしたら、私は、7でしょうね。
10 → ウイルスの脅威を絶対視/ 1 → ウイルスの脅威を無視… あなたは?

個人的には自分の命や一緒に暮らす家族の健康については必ずしも危険は
感じていません。 しかし、感染拡大の観点から、倫理観が問われています。

自分が、感染拡大の一端となるリスクは減らしたい。 自分が感染の連鎖の
一部となり、誰かに害を与える事をできる限り避けたい。 これが私のリスクに
対する対処法です。 しかし、3 の立場をとる人たちがいます。

彼らは、このウイルスが危険だとしても、今とられている対策が妥当ではない
と主張する立場です。 デモの参加者の中にも、3 の人たちがいます。
7 → 今の対策は適切だ  /  3 → 今の対策は過剰だ

欧米で広がるマスク着用の義務化に反対するデモ。 特にドイツではマスクは
感染予防に役立たないという主張とともに、個人の自由を侵害しているとの
声が上がり、対立が深まっている。

民主主義が崩壊するほどの経済危機が起きる事だって想像できます。 逆説
的な言い方ですが今、デモを行っている人々は民主主義を体現しているとも
言えます。 彼らはマスクを付けないと主張し、その立場を表明していますね。

理性的な立場ではないと思います。誰が正しいかは歴史が証明するでしょう。
私は6や7の立場が正しいと思いますが3の立場も、あり得ないわけではない。

10 → ウイルスの脅威を絶対視  /  1 → ウイルスの脅威を無視
7 → 今の対策は適切だ      /  3 → 今の対策は過剰だ

ただ1の立場、コロナ否定派は左と右の過激派で、民主主義を疑っています。
つまり、私は受け付けませんが、規制反対派にも、一理はあるという事です。

民主主義と、個人の自由。 揺れ動くバランス。 いたずらに正解を求めず、
正しく恐れるためには、何が必要なのだろうか? 合理性とは何でしょう?
理性から来ていますよね。

理性とは、危険な両極端なもの同士を比較する事です。 つまり、中間の道を
見つける事。 これが、リスク評価では重要です。 ウイルスだけが問題だと
考えれば、科学主義に陥ります。

1つの原理・状況分析だけに、全てを賭ける事になってしまいます。 現状では
科学的知識は、限られていますよね? コロナウイルスの性質や、感染の
影響については、まだ、科学的な解明が十分ではありません。

科学は、さまざまあるリスク評価法の一部にすぎないのです。 例えばお店に
行かないとお気に入りの飲食店が閉店に追い込まれるかも知れませんよね。

気に入ったお店は、なくなってほしくないので、多少のウイルス学的なリスクを
冒してでも、私は応援します。

ウイルス学だけにのっとるなら、そのような選択はできませんけどね。 つまり
疫学的アドバイスのみに従い、感染のあらゆる可能性を排除するためには、
誰とも会わない事になります。 しかし、それは非合理でしょう。

もう1つ、私が避けている事があります。 ハイジェニズム → 衛生主義です。
それは、人種差別と同じく、特定の錯覚に基づいて、人間を捉える見方です。

衛生主義では、感染の連鎖を避ける事だけが、やるべき事だと考えてしまい
ます。 そんなはずは、ありませんよね。

他にも、やるべき事は、たくさんあります。 環境や経済の危機も、差し迫って
いますよね。 たった1つの事に、フォーカスするという事は、あり得ません。

私は、限りなく複雑な状況の中で、多くの物事にフォーカスを当てながら、
考えるように心掛けています。

理性の天秤の上に異なる領域の知見をのせて多様な価値の均衡を図る事。
それが合理性だ。 気鋭の哲学者は言う。 科学的な知識だけに頼って、
パンデミックを解決しようとする事は、決して合理的だとは言えない。

私たちは、いまだに人とウイルスとの違いを区別できていません。 ウイルスは
人間とは異なる世界・物差しの中に存在しています。 ウイルスに色は、あり
ません。 小さすぎるのです。

電子顕微鏡でしか見られません。 その意味で、色を持たないという事です。
ウイルスが束になっても無色透明です。 とても面白いですよね。

完全に透明な存在が、私たちのルールとは異なるルールに従って、存在して
いるのです。

最高の疫学的モデルでさえも、ウイルスの振る舞いを、完全に予測する事は
できません。 どこまで行っても、ウイルスは、人間ではないのです。

この広場は、3月には誰もいませんでした。 人も、車も、何もかも。 政策に
よるものでした。 再び、道を開けようと政府が決めて、私も正しい判断だと
思いますが、今ではこんな感じになりました。 しかしパラドックスがあります。

状況は、3月より、の方が悪いのです。 人間が、やっと活動を再開した今、
ウイルスは、よりハッピーでしょう。 3月のウイルスは… どうやって増殖すれ
ばいいんだ?誰も、いないじゃないか! そんな風に息を潜めていました。

今、やっと活動が再開した! と、思って、再び広がっているのです。 そう、
私たちは、ウイルスを全くコントロールできていません。 ウイルスと闘うべく、
科学で挑む人間。

しかし科学を武器と捉え、完全なるコントロールを目指す事は、過ちなのか?
かつて、カール・マルクスは、宗教は民衆のアヘンだと言いましたが、私は今
科学は民衆のアヘンになったと言いたいです。

私たちは、日々、感染者数や死亡率などのデータをチェックしていますよね?
これはいわば普遍的で、グローバルな宗教のようなものです。

“宗教は、悩める生き物のため息であり、宗教は民衆のアヘンである”
カール・マルクス

新型コロナウイルスは深刻な問題です。解決には医学の助けが不可欠です。
それには異論は、ありません。 しかし自然科学は、問題を解決する事はでき
ません。 ワクチンは作れますし、それは、素晴らしい事です。

でも、なぜ、ワクチンが必要か? どう配るのか? 資金はどうするのか?
政治が支出を決定する必要があります。 ワクチンの分配や正義などの
問題は、自然科学の問題ではありません。 政治的な問題でもありません。

これは倫理的な問題で、だからこそ哲学の問題なのです。 私たちが精神の
ワクチンを持たなければ、このパンデミックの問題は、解決できないのです。
コロナ危機は、私の意識のパラメータを変えました。

今までにない、見方をするようになったのです。 いわば現実の見方が変わり
物事を道徳的に捉えられる様になったのです。 新たな観点から現実を見る
事で、危機が、より可視化されました。

私たちは、何をなすべきなのか? それが、飛躍的に可視化されました。
逆説的な話しですが、目に見えない存在のおかげで、やるべき事が明らかに
見えて来るようになったのです。

無色で目に見えないものが人間の行動を可視化しました。 この新しい意識が
モラルの進歩と新たな啓蒙につながる可能性があります。

そう思うと、私は楽観的になれるのです。 善と悪も、可視化できるという事で
すからね。 ただし、このような洞察を失う恐れはあります。 チャンスを逃して
しまうかも知れません。

まだ、ハッキリとは分かりませんが、カイロスという有名な神話があります。
(カイロス→瞬間や機会を意味するギリシャ語に由来)

ギリシャ神話に登場するカイロスは、前髪が長い。 彼を捕まえるには、近付
いて来た時に、前髪をつかむしかありません。

通り過ぎてからでは、捕まえられない。後頭部には、髪の毛がないからです。
カイロスは近付き、私たちは前髪をつかみました。

しかし今、それを手放しつつあるのかも知れません。 ウイルスという見えない
存在が可視化した、科学でも政治でも解決できない問題。

しかし気鋭の哲学者は、そこに人間の意識、そして道徳が進歩する一瞬の
チャンスを見ている。 彼の目には、今、何が見えているのか?

物質的現実よりも、精神に重きを置くとされる、ドイツ観念論。 カントに端を
発する哲学の系譜の先に新たな地平を切り開く気鋭の哲学者はこの時代の
危機を、どう反転させるのか?

最近になって、我々は過ちを犯しました。 唯物主義です。 物質的な世界、
つまり、物が思考より重要とされる考えは、人間の歴史上、かなり最近の思い
違いであり、我々を、絶滅に追いやろうとしています。

唯物主義は、人間の思想の中で、最悪なものです。 思考が物質の後に来て
思考は、存在しないとされる事さえあります。

これは、とりわけアメリカ合衆国では、とても力のある世界観であり、エンジン
です。 彼らの唯物主義は、学問の世界を含め、どこにでも根を張っています。

愚かな形而上学(けいじじょうがく)で、人類の破滅を招きかねないものです。
以前、自然主義を批判したのも、このためです。 自然主義は、アメリカの
イデオロギーです。 それは冷戦下、ソ連の唯物論への対抗策でした。

しかし、実は、どちらも間違っていた。 米ソともに現実を捉え損ねました。
21世紀の今も、最大の問題です。 自然主義・科学主義・唯物主義。
主義と名の付く、1つの原理のみにとらわれる時、人は過ちを犯すのか?

自然主義と唯物主義は同じではありませんが、関わりが深く、人類の道徳的
調和を脅かすため、私は、これらを非難します。

アメリカと中国の対立を見ても明らかですよね。まさしく唯物主義が原因です。
考える能力これが人類に共通な絆なのですが、この事に気が付かなくなって
しまうのです。

思考するという点で、私と、中国の国家主席の間には、違いがないのです。
私に言わせれば、彼は極めて強権的なのですが、もちろん、人間である事は
共通しています。

私たちは、人間性が世界共通である事を、理解しなければなりません。
人間という言葉が嫌なら、思考と呼んで下さい。

この気付きが、ドイツ観念論の遺産でもあるわけです。 相いれない意見に
レッテルを貼り、人々は、攻撃し合う。

思考する動物だという普遍性を忘れ、人々の心は、たやすく分裂する。
その根底にあるのが、唯物主義だとしたら、そこから逃れる方法は…?

思考こそ、根源的な実在なのです。 測定可能な、物質的な世界は2番目に
そして思考が、その上にあります。

人間は思考します。 あらゆる事を思考できます。 7という数字。 ある哲学者
の思想。 そして自分の左手。 更に、過去や未来など、多くの事を考えられ
ます。 更に、思考について、思考する事も可能です。

まさに、今、行っているようにです。 それは最も高次の思考であり、これが
哲学するという事です。 もちろん、永遠に分からない事もあります。

少なくとも、140億光年より先の事は、現在の宇宙論では分かりません。
もし、宇宙論が正しく、宇宙が膨張しているのであれば、私たちは140億光年
より先にはアクセスできないのです。 でも、その表現はできます。

たった今、したように。 そういった意味で、思考には限界がないのです。
あらゆる存在には、人間の思考で、照らし出せない闇はないのです。
私は、この洞察をドイツ観念論から得ました。 ヘーゲルは、こう言いました。

“世界は、思考にあらがうだけの力を持たない。 世界は、我々の思考に
あらがうには弱すぎる。 物という対象は、思考との関わりなしには存在
しえない”  (ヘーゲル)

すなわち、思考そのものについて考える事は、唯物主義から自由になる事
です。 と言っても、自分の体から抜け出たりはしませんよ。

言いたいのは、私の体も、私の思考の一部だという事です。 ウイルスに
対するワクチンさえ手に入れば、全ては解決する。

そんな近道にとらわれている限り、精神をむしばむ毒、唯物主義からは逃れ
られないのか? 唯物主義から自由になれば、人生も変わるでしょう。
なぜなら唯物主義は、消費行動にも影響しているからです。

物質を手に入れる事だけに興味がある人を物質主義者と呼びますが、彼らは
現実と、あしき形でつながっている。 唯物主義から距離を置けば、大量消費
主義の呪縛からも、解き放たれるのです。
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私たちには、消費資本主義が強要されています。 商品を買うようメディアや
広告などによって、操られているからです。

素敵だと思う物、例えば、最新のスマートフォンなど、どんな物でもいいです。
買った時は、とても素敵に見えますが、捨てる頃には醜く見えます。

でも、実際は、そんなに変化していませんよね。 つまり、その物は、もともと
素敵ではなかったのです。

人には、物を楽しむ権利はありますが、幻想である事は理解すべきです。
でなければ、幻想の犠牲になります。 これが、消費資本主義の問題です。

もし無害であればお勧めしますが、そうではない。消費者の幻想は全ての人
間を殺す最悪な錯覚なのです。物質への欲望は本能なのか?錯覚なのか?

錯覚が、錯覚と気付かれぬまま1人歩きする時、その極限で、時に悲劇は
生まれる。 幻想を見破らないと、どうなるでしょう。

ナチスドイツの人たちは、反ユダヤ主義でした。 強制収容所ではユダヤ人に
対して、奴隷よりもひどい扱いをしました。

しかし、幻想の支配下にいた彼らは、人を物として捉えていたため、問題ない
と考えました。 まさに、史上最悪な事の1つです。

消費資本主義は、ある意味、更に悪質かも知れません。人類を死に追いやる
可能性さえ、あるからです。 幻想を自覚するのです。

幻想のない人生はありませんが、よりよい錯覚はあります。 私自身も、この
パンデミックのおかげで、いくつかの物や商品に対する幻想がなくなりました。

私も、現代社会の人間として物を消費しますが、その錯覚を理解しています。
何が起こったと思いますか?  今朝の公園にもいましたが、ボンには、とても
エキゾチックな緑色のオウムがいます。

ボンの固有種ではなく、どこから来たのかも知りません。 しかし以前は私には
彼らの事が全く見えていませんでした。

パンデミックで消費資本主義がスローダウンした今、自然の美しさに、ほんの
少し気が付けるようになりました。 オウムに気付いたのです。

今朝は、たくさんの緑のオウムを見ました。 更にチョウチョも見ました。 私の
子供たちなら気が付きますが、私は普段、全く見ません。 ですが、チョウチョ
とオウムを見たのです。 私の思考が変わったから、気が付けたのです。

Q: それではパンデミックは、反唯物主義的なのでしょうか?
まさに、その通りです。 ウイルスは、目に見えませんからね! ウイルスは
テーブルのように、物質的なものではありません。

私たちはウイルスを通して、物よりも上位の現実に触れているのです。
このパンデミックは歴史的な瞬間です。 私たちは革命期にいると思います。

フランス革命と比較できるほどです。 1つの時代が終わったのです。
1989年に始まる、新自由主義的グローバル化の時代がです。

何が起きているんだ?というカオス。 あらゆるものの不安定化こそ、現実に
ついての適切な理解です。

仏教の概念では、現実は、物質により成立するのではありません。 物質とは
安定したものです。 ですが、現実は安定していません。

無の中にある、一時的な存在のゆらめく光。 それが現実です。 現実にもた
らした一瞬の裂け目。 物質の呪縛から解かれる時、新たな現実が姿を現す。

現実は、個別の もの が、重なり合う網のような場で、全ての構造はローカル
なものです。 だから、重なり合う事ができる。 何も問題ない。

ここが生まれ育った通りで、この辺りの家は全て親戚です。 妙な話しですが
ほとんどの家に住んでいました。 あそこの部屋では、初めてスピノザを学び
ました。 2週間、閉じこもって、エチカを、ずっと読んでいました。

Q: 何歳の頃ですか?   A: 16歳です。
あそこは、初めて哲学書を読み始めた部屋です。

1番左側の部屋で、14歳の頃にカントやキルケゴール・ヘーゲルにショーペン
ハウアーを読みました。 全て、あの部屋です。  これが私の通学路でした。

子供の頃、通学路を歩きながら、哲学をしていました。 行ったり来たりしな
がらね。 私が、最初の2つの哲学的発見をした場所を、お見せします。
それが私の人生を決めました。 あの街灯を見て下さい。

私が6歳の時、ここが通学路でした。 ある日、登校していた時、小雨が降り
出して、雨粒が右目に入りました。 視線は、こんな感じでしょうか…。
眼球を押した時のような、単純な光学現象が起きました。

今、私が、あなたを見ているように、イメージが2重になったのです。
ある疑問が浮かびました。

今は街灯が2本に見えるのに、どうして1本だと思うのだろう?
もし、いつも2本に見えていたら、僕は街灯を2本だと思うのか?
それとも、1本だと思うのだろうか?   こうも考えられます。

私と、あなたが見る街灯。 反対側から見る街灯は違いますよね。
では、街灯の本当のイメージは、どこにあるのでしょうか?

長年を経て、たどり着いた答えが意味の場の存在論です。 答えは変わる事も
ありますが、ここ10年、変えていない答えが、イメージは、ここにある です。
気鋭の哲学者が提唱する新実在論のキーコンセプト、意味の場。

現実のあらゆる存在は常に意味と共にある。 人々の感覚が生み出す意味と
離れては何1つ存在する事はないというのだ。 ラッセルやベルクソンという
哲学者も、似た発想を持っていましたが、それらとは別の思想です。

このように動き回っても対象は、あくまでも同じに見えます。 増えているのは
物ではなく、イメージなのです。 なぜでしょう?

物質は1つでも、イメージは複数に増えうる。 この現実において当たり前にも
思える、この事が、一体、何を意味するのか?

イメージしか持っていない私には、対象が本当に存在するかは分かりません。
では、全てのイメージが同じ対象を表していると、なぜ分かるのでしょう?

イメージを結び付けるものこそが、対象だからです。 これが、意味の場の
存在論です。 つまり、イメージの場があって、そこには、いわば、引力がある
という考え方です。 ものを引き付ける、何らかの力の比喩です。

イメージ同士を結び付ける力が対象なのです。 対象は、イメージの外にある
わけではありません。 対象とは力なのです。 こう考えると世界という実在は
消えて行きます。 2つ目の思考実験が、下校中に始まりました。

その時、さっきまでは学校にいた自分が、今は、ここにいて、お昼時には家に
いるという事に気付きました。 では、過去は、どこへ行ったのだろう?
私が家にいる未来は? これらは、どう、つながっているのだろう?

こう考えました。 未来の予想と、過去の記憶は、どちらも、つながっていて、
現在、起きているのだと。 しかし、それが正しいはずはありません。

なぜなら、過去は過去にあって現在にはなく、未来は未来にあって現在には
ないからです。 何年もかかりましたが、私は、こう結論づけました。

それぞれのシーンは、結び付いていないのだと。 過去は現在とも未来とも、
完全に切り離されていて、それらを結び付ける法則などは存在しないのです。
自然の法則は、過去・現在・未来を、結び付けません。

私が、今、話している言葉は、このシーンを撮影し始めた時の言葉と、どう、
つながっているのでしょう? 物理学では、その答えは出ません。

ですから自然の法則が、ものを結び付けるのではありません。 後に私は世界
は存在しないという結論に至ります。つまり現実は相互につながっていない。

ある実在は、独立した断片で構成され、断片同士が、時に、重なり合っている
という事です。 意味の場が捉える現実は、絶えず変化に開かれている。

多くの自然科学が前提としている固定的な物質や、直線的な時間も、1つの
錯覚なのだという。 意味の場の存在論を、人間に当てはめてみましょう。

この対象は、誰でしょう? 私の見え方は、たくさんあります。 若い頃の私。
10分前の私。 2時間後の私。 この私は誰でしょう? 私たちは、自分たちを
別々の個人だと、よく考えます。 でも、自分とは、誰でしょう?

個人主義は、個人のアイデンティティーの幻想に基づいています。 私たちは
次の事を理解する必要があります。

私たちが、市場の利害関係や消費者行動などに支配される個人だという考え
方は、消費資本主義のイデオロギーによって作り出され、押し付けられたもの
です。 このような個人は、存在すらしません。 幻想です。

そのような意味のアイデンティティーは持っていないのです。 私たちは変化
する複雑なプロセスです。 10年後の私のアイデンティティー? そんなものは
分かりません。 私たちは、個人として存在していません。

非常に複雑なプロセスと現実のネットワークで、他者と重なり合っているの
です。 人間は、ある意味、ミツバチのようなものです。

私たちは共にあり、道徳的に結び付いているのです。 唯一の個人という概念
さえ、市場の物語の上で作られた幻想なのかも知れない。 錯覚を認識する
事で初めて人は自由になり現実への1歩を踏み出せるのか。

新実在論では、プロパガンダやイデオロギー・幻想・妄想・偽りなどから、独立
した実在の形があると考えます。

つまり意味の場としてリアルな関係性は既にあり、発見されるのを待っている
のです。 そして私たちは、ただの傍観者ではなく、その一部なのです。

現実の外側にある現実というのは、存在しません。 この意味に気付けば、
私たちは、皆、一緒にいるのだという事を、理解できると思います。

新しく書いた本の中で、言葉遊びをしたのですが、ドイツ語で現実を意味する
言葉には、私たちという言葉が入っています。 つまり、私たちをつなげている
のは、現実そのもので、私たちは、現実から逃れられないのです。

コロナで世界が犯した最大のミスは国境を閉鎖してしまった事です。 国境を
開かなくてはいけません。

危機の時こそ、決断の時です。 最終的には、善か悪かの決断です。
このまま悪の道を進み続けるのか?

または一緒に、道徳的進歩に向かって進み、道徳的に良い事をして行くか?
私たちは人類全体として、この選択を迫られています。

これが、私が最後のチャンスと言う意味です。 コロナの前の私たちを、思い
出して下さい。あの目まぐるしさ、民主主義の終えん、気候変動など。
あの頃に戻ったら、終わりです。

だからこそ私たちはこのパンデミックに、これほど大きなショックを受けている
のです。 私たち誰もが、危機を感じていたからです。 それがショック反応の
原因です。

以前のHIVのパンデミックは、ある意味コロナよりもひどいもので、感染者数は
累計で3800万人にも上ります。 でもそれは、人類を変えたでしょうか?

今、私たち全員が、ショック状態に陥っています。 それは、ウイルスの存在
では説明がつきません。ウイルスの呼びかけによって引き起こされたのです。

私は、これを、形而上学的なパンデミックと呼んでいます。 人類は皆、自分
たちが間違った道を進んでいる事を、無意識に知っているのです。

ですから問題は、ウイルスからの呼びかけに、私たちは、どう応えるのかと
いう事です。 パンデミックは、私たちを、認識の眠りから呼び起こした。

束の間の目覚めの中で、思考の倫理の新たな歩みを進められるのか?
それとも既に、元の道に戻っているのか?

いずれにせよ、私たちに残された時間は、そう多くはないのかも知れない。
私が、よく引用する哲学者ガダマーの、素晴らしい言葉があります。
“相手が正しい可能性はある”  (ハンス=ゲオルク・ガダマー/1900-2002)

これは実にシンプルな倫理の原則です。 相手が正しいでも自分が間違って
いるでもありません。

ただ単に、相手の視点を、感情も含めて考慮する必要があるという事です。
それでも、あなたが100%正しければ、相手に反発を覚えるかも知れません。
でも大切なのは、相手の視点から、どう見えているかを知る事なのです。

他者の視点を取り入れる事で、自分の視野を広げる事ができます。 それが
倫理的な進歩につながるのです。

私がお話しした街灯の事を思い出して下さい。もし現実が本質的に多様な見
方ができるのだとしたら、どういう見方があるのか学ばなければなりません。
人の数だけ、いや、無数に存在しうる、ものの見方。

私たちは、どこまで他者の眼差しに、そして他者の言葉に、想像力を持てるの
だろうか? 先が見えない不安に負ける事なく、耳を澄まして…。

(取材中にサイレンが鳴る)    すぐに鳴りやみますよ。 この緊急事態に、
今は、こんな警報が必要なのかも知れませんね。 火事や爆発の警報が鳴り
響く、その中心に、私たちがいまいす。

そして私たちは、人間の自由に対する攻撃への真っ只中にいる事も、確か
なのです。 この危機を知らせる音が、あなたには聞こえていますか?
哲学は教えられない。 哲学する事しか、教えられないのだ。 (カント)
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未知のウイルスと戦う、人類の成長を描いたミクロファンタジー? 人類と
新型コロナの2年以上続く戦い…。 ワクチンを打った後に出る副反応。

でもワクチンって、どんな効果があって、体の中で何が起こっているのか?
よく分かっていなかったりしますよね?ちなみに今回の新型コロナワクチンは
ものスゴイ技術が使われているという話なのですよ!

2019年の年末に始まった、新型コロナウイルス感染症。 世界中で5億人を
超える感染者を出す、パンデミックを引き起こしています。

日本でも生活は一変! ホント絶望的な状況でしたよね。 そんなコロナ禍で
人々の希望となったのが、新型コロナワクチン。

臨床試験の結果、90%以上の高い有効性をたたき出して、開発から僅か1年
足らずという、ものすごいスピード感で承認・実用化されました。

実は、この新型コロナワクチン、これまでのものとは全く異なる新しい技術が
使われているのです!

それはメッセンジャーRNAと呼ばれているものにヒミツがあって人間の細胞が
ウイルスと戦うタンパク質をつくるという、もぉ~、これがスゴイのです!

それで感染を抑える、いわば、ワクチン界のニュータイプ! このワクチンの
登場は本当にセンセーショナルで、ノーベル賞級の発明だ!と賞賛する人も。

コロナ以外にも、インフルエンザワクチン、ガンや、アレルギーの治療薬にも
応用できると期待され、世界中で臨床試験がヒートアップしているのです。

通常のワクチン開発は10年以上かかるそうなのですが新型コロナワクチンは
僅か1年で承認! それゆえ、安全性を心配する声もありますが、実は開発の
裏には、40年にわたる科学者の研究があったのです。

その誕生秘話と、mRNAの正体を見て行くと、医療の最前線と未来が見えて
来ちゃうという話なのです。 とにかく、mRNAを医療に応用する道を切り開いた
科学者の話が、めちゃくちゃ面白いのです!

ハンガリー出身の科学者カタリン・カリコ(女性)。 新型コロナワクチン開発の
裏には、カリコが逆境に負けず、コツコツとmRNAを研究し続けた、うち、何が
あっても、へこたれへん!的な、ど根性物語があったのです。

小さい頃から動物や植物観察が大好きで、父親がブタをさばくのを、じっと
見みちゃうくらい、狂おしいほど生命に興味があったカリコ。 高校生の時には
科学者になる!と決めたのだそう。

大学卒業後、ハンガリーの生物学研究所で研究していたのが、遺伝物質
mRNAを含む RNA の研究。 人間の体には、およそ37兆個の細胞があって、
その1つ1つの中で、DNAとRNAが働いている。

例えば、細胞の中を漫画雑誌、週刊ナヌーンを作る世界だとします。 すると
DNAが漫画家先生。 先生が描いた原稿をデータ化して、印刷用の完成
原稿をつくるのが、RNAたち出版社の社員なのです。

社員には、部署ごとに仕事がいくつかあるのですが、印刷工場に完成原稿を
届けるのがメッセンジャーRNA。 ちなみに完成した漫画雑誌がタンパク質で
体の中の書店やコンビニに配送されるのです。

え? 分かったようで、分からない? でも、次行くね! 当時、研究が進んで
いなかったRNAは、未知の存在だったのです。

カリコは、この働き者の彼らを、医療に役立てたいと夢見ていたのだとか。
そんなカリコに30歳の時、大きな試練が立ちはだかる。 ハンガリーの経済が
行き詰まり、突如、研究費が打ち切られてしまったのです。

でも、困難は次のステップにつながると、RNAの研究を続けるため、カリコは、
家族と共にアメリカに渡る事を決意したのです。

その後、カリコは別の研究グループがmRNAを挿入して、特定のタンパク質を
つくる指令を出させる事に成功した事を知る。

これって、別の印刷用の完成原稿を持ったmRNAを、印刷工場に向かわせて
勝手に別の漫画雑誌をつくれちゃったという事なのです。

カリコは、この技術を使えば、脳卒中や心臓バイパス手術など、医療の役に
立てるかも知れないと大興奮したのです。

ところが、この研究成果は、科学者の間では、全く、見向きもされなかった。
mRNAは分解されやすく、すぐ消えるから面倒臭いRNAと、あだ名で呼ばれる
くらい、薬に使うのは難しいというのが、常識だったからです。

でもカリコは、その性質から、mRNAは体内に長く残らず消えるので、医療で
プラスに働くはず!と、短所を長所と考え、またしても、へこたれへん!と、
研究を続けた。

そして1997年、カリコは免疫学者のドリュー・ワイスマンと、運命的な出会いを
果たす。 HIVワクチンを開発したいんだけど、DNAだと、うまく行かないんだと
悩むワイスマンに、カリコは、RNAなら出来るわよ!と断言。

意気投合した2人は、mRNAの共同研究を始めたのだが、治療薬にするには
大きな壁があったのです。 なんと、人工のmRNAを細胞に加えると、細胞が
拒絶反応を起こし、細胞が死滅してしまうのです。

人工のmRNAを、長くしたり、短くしたり、形を変えたりしたけど、無駄、ムダ!
そこで細胞に、もともとあるRNA、つまり出版社のそれぞれの部署から社員を
外に呼び出し、改めて細胞に入れてみたのです。

すると、トランスファーRNAと呼ばれるものだけが、拒絶反応を起こさずに、
細胞の中に入る事が出来たのです。 どうしてと思いますよね?

カリコが、tRNAを顕微鏡でのぞくと、tRNAは化学修飾と呼ばれる、おめかしを
していたのです。 (化学修飾=細胞が自分のRNAだと認識する飾り)

一方、mRNAは、運動しやすい服装だった。 カリコは、ひらめいた!
ひょっとして、外から細胞の中に入る時は、ドレスコードがあって、おめかし
していると、ステキ!と言われて、拒否されないのかも!

そこで、tRNAばりに、mRNAを、おしゃれ番長化。 これがビンゴで、人工の
mRNAでも、おめかしをキメれば、細胞の中に入る事が出来て、思い通りに
タンパク質をつくる事に、カリコは成功したのです。

このカリコの研究に注目したのが、ガン治療薬の開発でmRNAを研究していた
ドイツのビオンテックのCEO。 カリコはビオンテックで、mRNAを使った、ガン
治療薬や、インフルエンザワクチンの開発に着手。

アメリカなどで臨床試験をスタートさせるところまで行ったのです。 そうした
状況の中、2019年12月。 人類の前に突如として最悪の悪魔がやって来る。
新型コロナウイルス COVID-19。

未知のウイルスを恐れた僕らの生活は一変し、街から人が消え、日常が
失われて行きました。 カリコは、中国の研究者から公開された、新型コロナ
ウイルスの遺伝子配列を見て、mRNAが、この緊急事態を解決する手立てに
なるかもと、ワクチンの開発を始めたのです。

新型コロナの感染は、ウイルスの表面にある突起タンパク質が、人の細胞に
くっついて侵入して起こる。 つまり、この突起タンパク質を、やっつけちゃえば
感染しないという事。

そこでカリコは、突起タンパク質の遺伝情報だけを取り出してコピーした、
大量のmRNAを使って、人の体内に新型コロナウイルスの抗体をつくろうと
考えたのです。

そうして出来たmRNAなのですが、注射すると、僕らの体の中で何が起こって
いるのか? ちょっと忘れちゃったかも知れないけど、漫画出版社の設定で
話をさせてね!

体の中に送り込まれたmRNA。 手には漫画雑誌、突起タンパク質物語の
印刷用の完成原稿。 印刷工場に持ち込むと、次々と漫画雑誌が印刷されて
細胞の外に出て行くのです。 そこで待っているのが、免疫細胞。

人呼んで、ウイルス・バスターズ! この子たちは、漫画雑誌を手にすると、
特殊な力を発揮するのです。 B細胞は、突起タンパク質物語の理不尽さに
怒り、抗体という銃弾をつくるスナイパーと化す。

樹状細胞は、突起タンパク質物語が、めちゃくちゃつまらないとビラをつくって
仲間に配る、いわば、ネガキャンインフルエンサーです。

キラーT細胞は、ネガキャンのビラを受けり、突起タンパク質物語を見つけたら
全力で排除する事を心に誓う。

でね、いざ、新型コロナウイルスが体内に侵入すると、どうなるのか?
イメージすると、突起タンパク質物語を、大量に抱えてやって来る。

それに対して、まずB細胞が抗体で狙撃。 弾幕をくぐり抜け、細胞に、突起
タンパク質物語が持ち込まれても大丈夫! キラーT細胞が、細胞ごとせん滅
する。 こうして、新型コロナウイルスの増殖を防ぐという仕組みなのです。

ところで、この免疫細胞にウイルスと戦う力を授けた、mRNAは、どこに行った
かというと、2~3日で役目を終えて、ひっそりと分解して姿を消すのです。
何だか、はかないですよね~。

この新たなワクチンの開発を目指すビオンテックは、アメリカの大手製薬会社
Pfizer(ファイザー)と提携。 大規模な治験を行うとともに、大量生産が可能と
なり、僅か1年足らずで実用化され、新型コロナワクチンを世界に供給した。

カリコは、私は貢献しましたが、私のワクチンではありません。学術界、小さな
バイオテクノロジー企業、大企業のそれぞれがベストを尽くして協力し合った
結果。 …と言ったらしいけど、ホント、科学者たちの長年の苦労が実った
結晶だよね!

カリコの功績は世界でも高く賞賛され、mRNAワクチンは、ノーベル賞級の
発明!だといわれている。 でも、副反応やブレイクスルー感染など、mRNA
ワクチンに対して懐疑的な声もあるのが現状。

その安全性と問題点は、どうなのか?日本のmRNAワクチン研究の第一人者
に聞いてみた。

“副反応で痛い、腫れる、赤くなる、熱が出るというのは、ある意味、主反応に
近いものです。 いわゆる、風邪をひいた時の免疫反応に近いものなので、
どれが…何が完全に悪い反応ではないのです。 ただ、それがひどすぎると、
副反応と言えず、副作用として後に残ってしまう事もある。 そこは、きちんと
分けて。 あまりにもひどければ、お医者さんに診てもらうのが大事です”

Q: mRNAワクチンの問題点は?
“いろんな大事な試験をスキップしたのではないかとか。 副作用のことを、
ちゃんと見過ごしたのではないかと言われますけど、いやいや、必要な試験は
全て終えていて。 ただ残念なのは、ワクチン接種が始まって2年経ってない
という事から、長期にわたる副作用とか副反応、影響というのは、まだ見られ
ていない状況で、必ずしも、もろ手を挙げて安全だという事は、まだ言い切れ
ない状況です”

いろいろ不透明な問題も山積みだけど、mRNAは、今までの感染症用の
ワクチンに比べ、時間とコストが格段にかからない、革命的なイノベーション
になるともいわれている。

そして何と言っても、mRNAワクチンがスゴイのは、B細胞が抗体をつくるだけ
ではなく、キラーT細胞の力を覚醒させ、細胞に潜むウイルスや悪い細胞を
やっつける事。 これって、今までのワクチンでは無理だったのです。

そのためmRNAは、ガンの治療や遺伝子欠損、免疫不全などの難病治療に
応用できると期待され、開発研究が進んでいる。

日本でも、mRNAを使った新型コロナワクチンを開発中! 年末には、国産の
ワクチンを打つようになっているかも知れません。 最新の医学によって僕らは
新型コロナウイルスによる危機から抜け出しつつある。 その裏には、1人の
研究者が情熱を持ち、諦めずに研究を続けた歴史があった。

果たして今後、mRNAは、僕らに何をもたらすのか? 期待しつつ、この技術と
どう向き合って行くのか? 考える事が大切なのかも知れません。



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