FC2トラックバックテーマ 「今使っているスマートフォンケースについて教えて!」17歳のチューリングは、卒業を前にしたモーコムと一緒に、ケンブリッジを訪れ
ている。
しかしモーコムは、ケンブリッジ大学への進学が決まった直後、18歳で息を
引き取った。 結核だった。 チューリングが、母親に宛てた手紙。
‘僕が、モーコム以外の誰かと友達になろうと思う事は、2度とないかも知れま
せん’ 更に、こんな言葉が添えられていた。
‘モーコムに、またきっと、どこかで会える’
チューリングの伝記を執筆した数学者は、言う。
“それは、モーコムの死を、否定するものでした”
“モーコムの心は、生きていると思いたかった”
“そして、チューリングは何としても、心というものを知りたかった”
“心は、脳によって生み出されるもの。 それは一体、何なのか?”
“理解したいという衝動に駆られます”
“これが彼の研究の原動力となり、後に、人工知能へと向かわせる事になる
のです”
1931年。 モーコムが亡くなった翌年、チューリングは一緒に通うはずだった
ケンブリッジ大学へ進学。
新進気鋭の数学者、マスクウェル・ニューマンの講義を受ける。
チューリングは、彼の運命を決定づける、ある言葉と、ここで出会う。
‘人間が行う数学の計算は、いずれ全て機械が、こなせるようになる’
当時、計算機といえば、特定の計算しか、できないものだった。
四則演算を行う計算機。 微分なら、微分解析機。
人間のように、さまざまな計算ができる物はなかった。
人間の脳のように、あらゆる計算を行える、完璧な計算機を作り出す事は、
できないか? チューリングは、全く新しい概念に、たどりつく。
足し算や引き算等、1つ1つの計算方法を数字に置き換えて表現できないか。
チューリングは考えた。 あらゆる計算方法が数字に変換されれば、1台の
機械で処理する事が可能になる。
それはプログラムで機械を動かすという、現在のソフトウェアの概念、そのもの
だった。
この方法を発展させ、計算だけでなく、人間の行う、あらゆる活動を数字に
置き換えれば、機械で実行できるに違いない。
後に万能チューリング・マシンと呼ばれ、これはまさに世界初のコンピューター
の構想だった。
1936年。 論文が学会誌に掲載されると、ゲーデルやノイマンら、一流の
数学者たちに、驚きを持って受け入れられる。
だが彼らを除くと、あまりにも斬新なチューリングの発想は理解されなかった。
チューリングをコンピューター科学の視点で研究する科学哲学者は、言う。
“この発想こそが、後に、我々の世界を一変させるのです”
“1つの機械が、あらゆる仕事をこなすというアイデアは、驚異的な事だったに
違いありません。 人類史上、誰も考えつかなかった事”
“ある意味、気味の悪い概念だったと思います”
“プログラムを書けば、望む事を何でもこなしてくれるという機械なのですから”
チューリングの考えた、数字化したソフトウェアを、実際に処理する高速の
演算機は、まだなかった。
チューリングは、その開発に向けて研究を進める。 しかし…。
論文発表から3年後の1939年。 第2次世界大戦が勃発。
チューリングはイギリス政府の情報機関、政府暗号学校にヘッドハンティング
された。 課せられた任務は、あの、エニグマの解読だった。
政府暗号学校博物館の担当者は、言う。 “これが、エニグマ暗号機です”
当時、ドイツから奪い取ったエニグマから、複製機が作られていた。
配線と歯車によって、文字を変換する 設定 が決まる。
配線をつなぎ変え、歯車を回転させる事で、設定は容易に変えられる。
“キーを押すと、違う文字が点灯し、暗号化されます”
(例 : Fを押すとTが点灯。 Dを押すとZが点灯 など)
“なぜ、こうなるかというと、押した文字が電気信号に変わり、まずは、この
配線を通過して、別の文字に変換されます”
“それから、信号は上の歯車へと送られます”
“この歯車で変換され、ここでも変換、更に、もう1度、ここで変換されます”
“そして、ここを通過して戻り、また、それぞれの歯車で変換されます”
“更に、この配線で、もう1度、変換されるのです”
“その結果、どの文字が点灯されるかが、決まるわけです”
配線を変えると、文字の変換方法が変わり、歯車によっても変わる。
これを何度も繰り返す事で、複雑な暗号化を可能にしたのだ。
配線と歯車の設定が分かれば、暗号を解読できるが、その組み合わせは、
1京の1万倍以上に及ぶ。
更にドイツは、毎日、その設定を変えていたため、解読は不可能だと考え
られた。