FC2トラックバックテーマ 「今使っているスマートフォンケースについて教えて!」その頃、1つのニュースが、世界を駆け巡った。
1948年6月。 マンチェスター大学で、ついに、世界初のコンピューター(ベビー)
が作動したのだ。
かつて、チューリングの講義を受けた事のある研究者たちによるものだった。
チューリングは、すぐさま、マンチェスター大学に移籍。
そこで、人工知能は、あくまで可能だと主張する。
そして、それを証明するために、ある考え方を発表する。
機械の知能を判定するテスト、現在、チューリング・テストと呼ばれている。
このテストでは、1人の人間が、相手が機械か人間か分からないようにして、
質問して行く。
質問者は、それぞれの返答から、どちらが本当の人間と思うか?判断する。
もし質問者が、機械の方を人間だと見なした場合、その機械は人間と同等に
知能を持つと言えるのではないか?
チューリングは、知能に対する考え方自体を根本から変えるよう訴えたのだ。
チューリングの伝記を執筆した数学者は、言う。
“知能とは何かを問い、科学の新境地を切り開こうとしました”
“人間でも、他人の脳の内部の事は分かりません”
“その人の知能を、話す内容や行動で判断します”
“機械に対しても、同じように考えるべきだ”
“脳や機械の内部で何が起こっているかは重要ではなく、アウトプットが全て
なのだと主張したのです”
チューリングをコンピューター科学の視点で研究する科学哲学者は、言う。
“知性とは何か? 思考とは何か?”
“人類は長年、議論して来ましたが、明確な答えは、まだ出ていません”
“チューリングは、そこに全く新しい考え方で、疑問を投げかけたのです”
そして、研究を続けていた1952年、事件が起こった。
チューリングが逮捕されたのだ。
イギリスで、当時、犯罪とされていた同性愛の罪だった。
裁判の結果は… 有罪。 12カ月の保護観察処分が、言い渡された。
精神科にかかり、女性ホルモンの定期的な投与が義務付けられた。
乳房が膨らみ、性的能力を奪われた。
‘私は間違いなく、まるで違う人間になるだろう’
‘自分でも知らない誰かに’ (チューリングが友人に宛てた手紙より)
チューリングはこの事件によって、研究の第1線から退かざるをえなくなった。
逮捕から2年が経った、1954年。
チューリングは、ベッドに倒れている姿で発見された。
脇には、青酸カリの付着した、かじりかけのリンゴがあった。
検視の結果、自殺とされた。享年41。人工知能の夢は、道半ばで、ついえた。
チューリングの死から2年が経った、1956年。
アメリカ・ニューハンプシャー州のダートマス大学に、数学や電子工学などの
研究者10名が集まった。 テーマは人工知能。
アーティフィシャル・インテリジェンス = AI という言葉が公の場で、初めて
使われた。
チューリングの業績が、正しく評価されるようになったのは、それから更に、
18年も経った1974年。イギリス情報部の元大佐が1冊の本を世に送り出した。
タイトルは… ウルトラ・シークレット。
イギリス政府の許可を得て、チューリングら暗号解読者たちの功績を、初めて
公開したものだった。
この出版をキッカケに、徐々に情報が公開され、チューリングはコンピューター
科学の始祖として、ようやく認められた。
そして現在。 人工知能の分野では、チューリングが目指した、経験から学習
する機械の実現が、急速に進んでいる。
機械が人間の手を借りず、自ら進化する事が可能となった。
もはや開発者でも、人工知能の内部で何が起きているのか? 分からないと
いう。
2045年には、人工知能が、予測不能の速さで進化し始めるシンギュラリティー
が起きるという予測もある。
今年2月。 日本人工知能学会が、AI研究に関する倫理指針を発表した。
人工知能の研究者に、守るべき基準として、安全性の確保や、社会に対する
責任などを挙げた。
そして最後の項目では、AI自身に対しても、この倫理指針を守るよう求めて
いる。
人工知能が、社会の構成員となるためには、人工知能学会員と同等に、倫理
指針を遵守(じゅんしゅ)できなければならない。
今から70年も前に、人工知能を予言した男、アラン・チューリング。
彼は、その死の3年前、こう語っていた。
‘機械が思考する方法を、ひとたび確立したならば、我らのごときひ弱な力は
すぐに追い抜かれるだろう。機械が実権を握る事になると考えねばなるまい’
人工知能=AIは、どこまで進化するのか? どこまで展開するのか?
専門家や研究者たちでさえ、全く先が読めないと言う。
将来、人工知能を持つ機械は、映画のような、自らの意志を持って動くモノと
なるのだろうか? それは、人類滅亡へのカギを握っているものなのか…?