FC2トラックバックテーマ:「ついつい気になってしまう他人の行動は?」最新情報に、一喜一憂。 世界の株価は、アップダウンを繰り返す。
経済の低迷も、どこ吹く風?
そんな疑問が湧くほどに、実態から、かけ離れているかに見える、株式市場。
ノーベル賞を受賞した経済学界の重鎮が、不透明な状況での人々の心理を
分析する。
“大きな経済事象は、人々が耳にするストーリーによって引き起こされます”
“ストーリーは、国によって異なる事もあれば、世界中で同じ事もある”
“それは、感染病に似ています。誰かについて、何かについてのストーリーが
どう行動するべきか? 展望を与えてくれる”
“ストーリーは、まるで、コロナウイルスのように広まります”
“アメリカでは、株価が、今年2月にピークを迎えました。 ところが突然、株式
市場が崩壊するかもしれないというパニック・ナラティブが入り込んで来た”
“こうしたナラティブは、自己成就的な予言となるのです”
“実際に株式市場は35%下落しました。 2月19日~3月23日の間にです”
“大暴落という予言が、実現してしまった”
“でも3月下旬には、株式市場は、再び上昇に転じました”
“これもまた、ナラティブの変化が起きたからでしょう”
“人々は、過去の経験や金融危機の記憶に、とらわれがちです”
“前回の金融危機が終わり、株式市場が再び上昇に転じた、2009年の3月を
思い出したのです”
“各国の中央銀行が強力な刺激策で、株式市場を上向きに修正する”
“それに気付くのが遅れた、あの時の経験を、多くの人が思い出したのです”
“あの時の教訓は、株式市場は、結局は、安定するように導かれ、株価は
回復する。 だからパニックを起こさず、投資を続けていいという事でした”
今回も、中央銀行が守ってくれる。
そんな楽観的な見方が、伝言ゲームのごとく、市場を駆け巡る。
私たちは、いつも、物事を、見たいように見る。
それが、1つの波となって、現実を動かす。
“どういう訳か、アメリカの株式市場では、ハイテク分野が非常に優勢な事も
材料の1つです”
“ITや通信サービスが、時価総額で株式市場の約1/3をも占めています”
“世界は、今、変化していると言われています”
“ネットを通して、多くの事が出来るようになりました”
“アメリカは、この分野の産業に大きく関わっています”
“この産業が市場を、一時的に押し上げていますが、経済学者は、これを語り
たがりません。 明確に分析できないからです”
デジタルテクノロジーが切り開く、夢。
世界に広がるバーチャルな富、それは、夢の伝染か?
そして今、唱えられる DX という新たな夢。
(DX → デジタル・トランス・フォーメーション)
誰もが、一歩先の未来を先取りしようと手を伸ばす、言葉や数値目標、そして
株式。 大蔵省出身の異端の経済学者は、言う。
“株価は、やはり当てにならないというか、株価は、何の現実も表してなくて、
投資家の期待値を表しているだけなのですよ”
“それが実現する場合もあるし、実現しない場合もあると”
“これから、この会社、儲かるだろうという期待、すなわち欲望が集まると、
その欲望が自己現実して株価が上がると”
“株価は、ただの現時点での人気投票だから”
“そこに、みんなが期待を持っているという事なのですが…”
“期待というのは、それで世の中が、よくなると思っている事ではなくて、その
企業の株を持ってると、その株が上がるという期待だから…”
“それって、まぁ、欲望じゃないですか…”
“欲望の取り引きをしてるだけだから、株式市場に注目が集まるという事自体
あるいは、株式市場で誰でも取り引きが…”
“株式市場ができた事自体が、やはり、欲望の資本主義の最終局面”
“欲望の資本主義の大衆化なわけですよ”
波に、乗り遅れるな。 誰もが乗らないわけにはいかない、市場の大波。
だが、波は、やがて、引き潮となる。
ノーベル賞を受賞した経済学界の重鎮は、言う。
“1990年頃は日本経済の大転換期でした。あの時期を調べるのは興味深い”
“いわゆる、失われた10年の端緒です”
“少々、誇張して、失われた十数年と言う人もいますね”
“あの時、一体、何が起きたのでしょうか?”
“まず1990年時点の世界の見方は日本経済はすばらしく成功しているでした”
“とても有名な、当時の逸話があります”
“東京の皇居周辺の地価で、カリフォルニア州が買える”
“真実か、否かは知りませんが、そんな話しがありました”
“あれほどの区画だけで、カリフォルニア州より高額なんて変ですよね?”
“そして人々は、日本の株式市場の水準を疑い始めたのです”
“人々のナラティブ(語り口)の変化が起きたわけです”
“真実とは、しばしば誇張されて伝わるものです”
“見方が一転したのです。 日本の株式市場は高すぎるとね”
“今のアメリカだって、どうなるか分かりませんよ!”
証券会社のチーフ金利ストラテジストは、言う。
“これは1997年の金融危機の時に、大きな金融機関が倒産したので、ここが
ずっと倒産ストリートと… 永代橋の辺りまでに何軒かあったのです”
“やっぱり、連鎖するのだと思いますね。 色んな意味で”
“実際、お金も使わなくなってしまうという事になると、やはり消費が、グッと
しぼんでしまうというような現象が、そんなに、しょっちゅう起きる事ではない”
“普通の景気後退とかいうのもあるのですが、やはり、本当に何十年に1度、
もう、需要がグッと縮まってしまうような瞬間が、やはりある”
市場の波に翻弄されらながら、人々は、また次の機会をうかがう。
波を読む1人1人が、実は、さざ波を起こすプレーヤー。
市場のパンデミックは、どこまでも続くのか?
100年前の危機の時代。 その予兆の中で、希代の経済学者が残した1冊の
本がある。 ノーベル賞を受賞した経済学界の重鎮は、言う。
“1919年にケインズは、平和の経済的帰結という本を書きました”
“第1次世界大戦の終わりの頃です。 彼は、その本で、こう示唆しました”
“現在の世界の軌道は、新たな世界大戦へと向かっていると”
“ケインズは、第1次世界大戦後に連合軍がドイツを罰する事を懸念しました”
“そんな事をすれば、ドイツ人の中に、怒りと不公平感を巻き起こすと書いた
のです。ドイツ人も犠牲者だ悪として責めるべきではないという後世の考えに
つながりますね”
多額の賠償金を、敗戦国ドイツに科そうとする、連合国。
経済の論理で、敗者を責め立てるのは、たやすい。
しかし、真に重要なのは、敗れたドイツ国民の心の底に巣くう不安・憎悪・
怨恨などの揺れる感情に思いをはせる事。
人間の心の洞察なしに、新たに世界を立て直す事など不可能だとケインズは
考えた。
‘苦難に陥った人々は、残された組織をもくつがえし、個人の打ち勝ち難い
欲求を、必死に満足させようとするうちに、文明そのものを、埋没させてしまう
恐れがある’
‘これこそ今、我々のあらゆる資源と勇気と理想主義とを協同させて、その
防止に努めねばならない危機なのである’ ケインズの警告は届かなかった。
勝者たちによる非現実的な額の賠償金は、ドイツ社会の混乱と国民の
敵がい心を起こさせ、ファシズムへの道を用意した。
人間の心を顧みず過度に経済の論理だけを求めれば、社会は壊れてしまう。
世界が負った、大き過ぎる代償。 それを直視する時…。
“ケインズが伝えようとしたナラティブ(語り/物語)は、これです”
“ドイツ人が新たな戦争を起こすのを止めるには、彼らの話しに、もっと耳を
傾けるべきだったのです。 だが、私たちは、そうしなかった”
危機の時代に著された、経済学の巨人による書。
それは、経済でも社会の事でもなく、人間という生き物の、どうしようもない
さがへの考察から始まる。
‘自己の環境に慣れてしまう能力、それが人間の顕著な特性である’ ケインズ
“人間の心理的な枠組みを知る事が必要不可欠だと、ケインズは言いました”
“経済が、なぜ、繁栄するか? あるいは、繁栄しないかを理解するにはね”
“人々の間に漂っている、重要な何か”
“それは優れた人々によって紡がれる物語のばずです”
“人々の信頼や責任の重要性こそケインズが本当に伝えたかった事なのです”
ケインズは、平和の経済的帰結の終盤で、こう説いた。
‘新しい眼で世界を見渡す事。傷付いた経済を修復する方法は1つではない’
亀裂を埋める力は、数値では計り知れない。
私たちが語り忘れて来た何かが、そこにある。
危機は繰り返されるのだとしたら、欲望を超える物語を今。
自らの欲望を見つめて…。